障害を持つ人たちもがんばっている!

 最近ともぴーが読んだ本にはちょっとした傾向がみられる。障害を持ちながらもがんばっている人の話や、病気になりながらもがんばって最後まで生き抜いた老犬の話など、ノンフィクション物を読むようになってきた。

レーナ・マリア レーナ・マリア

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五体不満足 (講談社青い鳥文庫) 五体不満足 (講談社青い鳥文庫)

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 たぶん、毎週通っているスイミングスクールで、隣りのレーンを上手に泳ぐ女の子の左腕がひじまでしかないことに気が付いたからなんだと思う。ともぴーたちのクラスはあんまり泳げない子が集まっているクラス。なのに、その横のレーンで、彼女はいつもクロールやバタフライで何百メートルも泳いでいる。とても自然な泳ぎ方なので、ギャラリー席から毎週見ていたわたしも長いこと彼女の腕のことは全く気づかなかった。ともぴーが気が付いたのもつい数週間前。彼女の腕に気が付いたともぴーは「すごくがんばったんだろうな……」と小2の子なりに感じたようだ。「手がひじまでしか無いのに、すごくがんばっている子がいるんだよ」と帰りに一生懸命話してくれたからね。それ以来、ともぴーもすぐにあきらめたりしなくなって、最近では5~6mほど泳げるようになった(春休みには顔もつけられなかったんだから、かなり進歩した方だと思っている)。「がんばれ! あきらめるな!」と口で言ってやるより、本当にあきらめずにがんばっている人を見たり、そう言う人たちの話を聞いたりした方が効き目があるみたいだ。障害を持つ人たちのことが書かれた本を読んだときも、自分が彼ら彼女らよりも身体的に恵まれているということを感じて、「ぼくもがんばらなきゃ!」と思った様子。でも、それだけで終わらず、障害を持っている人たちの大変さや苦しさを理解して、手を貸してあげられるような人お友達として付き合ってあげられる人になってくれるといいなぁ……と思っている。

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声が……出ない!

 昨日の朝、起きたらまったく声が出なくなっていた。本当にまったく。のどの弱いわたしは、毎年1回や2回は必ず風邪で声が出にくくなるんだけど、こんなに完全に出なくなったのは初めて。2日目の今日もまったく出ない。本当に出なくなってみてわかる、しゃべれることのありがたみ。本当に今回は、聾唖の人たちのつらさが痛いほどよくわかった

 まず昨日は、耳鼻科に症状を書いたメモを持参して行った。いつもかかっている耳鼻科だから、聞かれることはだいたいわかっている。それに、耳鼻科だから、先生も看護婦さんたちも声の出ない患者さんには慣れている。だから、診察を受けに行くこと自体はそれほど問題もなく終わった。調剤薬局もいつものところだから、「あら? 声でなくなっちゃったんですか~?」と言われただけで、すべてジェスチャーで対応できた。でも……お医者さんの後、郵便局ではがきを買うつもりだったんだけど、それはやめることにした。だって、「はがき10枚」と声に出すことができないんだもの。ああいうところで黙ってメモを差し出すと強盗と間違えられかねないもんね(マスクをしていたらなおさら怪しいし)。まあ、それは考え過ぎだったとしても、声を出して注文しなければならないようなところは、声が出るようになるまで我慢しようとあきらめた。そこで、スーパーで買い物くらいは問題なくできるだろう……と近くのショッピングセンターに寄ってみたんだけど……こういう日に限っていつもレジに置かれている「レジ袋いりません」の札がない! エコバッグをあらかじめ手に持ち、スタンプカードを見せつつ、一生懸命ジェスチャーで伝えた。こんなに苦労するんだったら、普通に袋をもらった方が楽だったなあとも思うんだけど、たまたまスタンプを2個くれる日だったから、ちょっと無駄なパワーを使ってしまった。で、ここでやめて帰ればよかったのに、ともぴーに厚手の服を買ってやろうと思って子供服売り場を見に行っちゃったんだよね。そうしたら、知らないおばさんに話しかけられて……わたしはなぜか買い物に行くと必ずと言っていいほど毎回知らないおじさんおばさんに話しかけられ、いろいろな相談を受ける羽目になる……「1歳の孫なんだけど、このくらいのサイズかねぇ」と95センチサイズの服を見せられた。心の中では「いやあ、もうちょっと小さい方がいいんじゃないですか?」って思っているのに、それをうまく伝えられない。結局、これ以上話しかけられても答えられないので、にっこり笑ってうなずきつつその場を後にした。ごめんね、おばちゃんm(_ _)m

 そして今日。朝からともぴーの参観があったんだけど、わたしの声は今朝になっても復活しなかった。だから、先生方やよく知っているおかあさんたちにあいさつされたり、話しかけられたりしたんだけど、答えることができず、ものすごく愛想の悪い人と思われたかもしれない。いつも以上に顔の表情と体の動きでアピールしてたんだけどなあ。わかってもらえたかな? 担任の先生にはともぴーが昨日のうちに「ぼくのおかあさん、声が出なくなっちゃったから、質問を振らないでね」と頼んでくれていたらしい。そう言えば、わたしはともぴーが年少のころから、参観の度になにかしら質問に答えさせられてたっけ。そうか……気を遣ってくれてありがとう、ともぴー。

 とにかく今回のことで、口で話すことができないということが、どんなに辛いことなのかよくわかった。聾唖の人たちって見た目では健常者と同じなんだもんね。話すことができなくて勘違いされてしまうことが多いんだろうなぁ。答えたくても答えられないだけなのに、愛想が悪いとか、お高く止まっているとか、変な取られ方して困っている人、いるような気がする。手話を使っても、それを理解できるのは、普段から手話を使う必用がある人だけ。一般の人はわからないんだもんね。簡単な言葉だけでも覚えておかないと、話すことのできない人が目の前でピンチに遭ってても、助けてあげることができないなあ。はぁ……。

 今回はある意味貴重な体験をしたと思うので、「わたしたち手で話します 」という絵本を紹介したいと思う。この話は声が出ないのではなく、耳の不自由な女の子の話。でも、基本的には、話し言葉では物事を伝えられない、聞こえないから返事ができず意思の疎通に困るという点では同じような気持ちを味わっていると思う。リーザは耳が聞こえないので、周りの子どもたちが話しかけてきてもわからない。だからずっと友だちの輪に入ることができずにいた。でも、ある日、手話を話せる男の子が引っ越してきたことによって、世界が広がり楽しいこともいっぱい増えた。子どもでもよくわかるように、耳の不自由な人の世界が描かれている絵本だ。この絵本は、明るく前向きな内容なんだけど、手話ができる人が少ない以上、聾唖者は意思の疎通に困っていることの方が断然多いんだと思う。健常者とはメモのやりとりでしか会話ができないんだものね。健常者は情報のやりとりを話し言葉に頼る部分が多いから、表情を見て気持ちを理解しようという努力はあまりしてないように思うしね。ちょっと簡単なものだけでも手話を覚えてみようかな? と感じたこの2日の出来事でした。

わたしたち手で話します

著者:フランツ・ヨーゼフ・ファイニク/ヴェレーナ・バルハウス

あかね書房

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ついに乗れた!

 ともぴーは幼稚園の年長さん。自宅近くの子たちはみんな年中で自転車の補助輪を外したのに、恐がりのともぴーはまだ補助輪を外せずにいた。まあ、家の前がトラックも頻繁に通るような6メートル道路。周りの路地も車の出入りがかなり多い。ともぴーみたいに、自転車を買ってからこぎ始めるまで1年もかかったような子が、補助輪外しの練習をできるような環境でないといえば確かにそう。その点、兵庫の実家の前の道はあまり車が通らないし、すぐ近くには野球やサッカーもできるような広くて土のグランドがある(自転車の乗り入れもOK)。だから、去年も一度、補助輪を外すつもりで、実家に自転車を持ってきて練習させたことがあった。その時のことは去年このブログでも何度か記事にしている(2006年8月の記事「がんばれともぴー」「パパが来るまでに」を参照)から、去年から読んでいる人は覚えがあると思う。ナント、去年のともぴーは、自転車の補助輪を外したら、ハンドルを持って運ぶ事さえできなかったのだ。一度も足を浮かすことができず、練習させようとしても、泣いて家の中に逃げ込んでばかり。これでは絶対にムリと判断し、去年は早々に補助輪外しはあきらめた。補助輪付きのまま自転車を岐阜の家に持って帰ったともぴー。ところが、そんなともぴーも、今年は近所の子に「おまえ、まだわっぱ付けてるのか?」と言われたとき、「ぼくは、夏休みに取ることにしてるんだから、いいんだ!」と言い返していた。じゃあ今年こそ……というわけで、7月にパパと一緒に兵庫の実家に来たとき、再び自転車を運んで来て、しばらく預かってもらっておいた。

 自転車の練習を始めたのは、おととい(8/5)の朝。毎朝夕ともぴーとおじいちゃん(父)はアキ(実家の柴犬)の散歩に行く。その時にわたしも一緒に付いていき、すぐ近くのグランドで自転車の練習をする事にした。さあ、今年は補助輪を外して自転車を運べるのか……と心配したものの、さすがに今年は難なく成功。でも、自転車にまたがると、いつもの恐がりが復活。わたしやおじいちゃんがハンドルとサドルを持って押してやっても、手を放した瞬間、おびえて足を付いてしまう。「足を付かないでがんばれ!」と言うと、今度はブレーキの掛けまくり。しかも、クネクネ、ダラダラし出して、わたしやおじいちゃんのアドバイスは全然聞く気もない。あんまりやる気が無いので怒ると、大声で泣くばかり。初日は夕方になってもペダルをひとこぎできるかどうかというレベルで終わった。ところが、昨日は突然、こぎはじめに勢いさえ付けてやればグランドの端から端までこげるようになった。でも、まだハンドル操作はできないから、行き先は自転車に聞いてくれという状況だったけど。ブレーキを掛けられるからいいようなものの、掛けなければ壁に何度激突していたかわからない。そんなレベルだったのが、今日になると、朝と夕方の練習で、自力でこぎはじめることも、左右にハンドルを切ることもできるようになった。しかも、ブレーキを加減しながら坂を下れるようにまでなった。おじいちゃんの教え方がよかったのかもしれないけれど、ともぴーもよくがんばった。

 今日は、ともぴーが自転車に乗れるようになったから、自転車に乗れた喜びが感じられる絵本を一冊紹介しようと思う。「のれたよ、のれたよ、自転車のれたよ 」という絵本だ。この絵本に出てくる美由紀という女の子は実在の人物。500グラムの超未熟児として生まれたために目が見えない。でも、お母さんが普通の子と同じように育てたために、何にでも挑戦しようと言う気持ちを強く持っていた。ある日、ラジオで自転車の詩を聞いた美由紀は、どうしても自転車に乗りたいと思うようになった。お母さんと2人、グランドで自転車の練習を始めた美由紀。転んでも転んでも決してあきらめることなく何度も起きあがり練習を続け、最後には乗れるようになる。目の見えない美由紀さんのがんばりはもちろん、障害を持った子供に、転んでも転んでも自転車の練習をさせるお母さんの強さに頭が下がった。本当は助けてあげたい、ケガをしたらどうしよう……という気持ちでいっぱいだったはずなのに。美由紀さんの著書「生きてます、15歳。―500gで生まれた全盲の女の子 」と共に、この夏休みぜひ手に取ってもらいたい1冊だ。

 ところで、さすがのともぴーも乗れるようになると楽しいようで、「今日はもうやめようか」と言っても「まだ続ける!」と言ってなかなか帰らなくなった。さっきも「もっと上手に乗れるように明日も練習するぞ!」なんて言っていたくらい。まさか3日前のあの状態で、すぐに乗れるようになるとはとてもだけど思えなかったから、「もし、明後日までに上手に自転車に乗れるようになったら、アクションヒーロー編のヒーロー全百科買ってあげる」なんて約束してしまったわたし。おかげで、夕方の練習が終わった後、本屋さんに買いに行く羽目になった。ホントやられたよ。

のれたよ、のれたよ、自転車のれたよ

作・井上美由紀 絵・狩野富貴子 ポプラ社

生きてます、15歳。 500gで生まれた全盲の女の子  /井上美由紀/著 [本]

決定版 スーパーヒーローベスト100超百科 アクションヒーロー編 (テレビマガジンデラックス 178)

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最近のプチびっくり

 幼稚園から帰ってきたともぴーに「今日、何やって遊んできたの?」と聞いたら、「ままごと」と答えることがたまにある。メンバーを聞いてみると、ほとんどが男の子。意外と男の子に人気のままごとなのだ。ひとりっ子や男兄弟しかいない男の子のうちにはままごとセットがないんだろう。お皿にプラスチックでできた料理や野菜などを乗せるだけでも楽しいようだ。

 今日のともぴーの役回りはお兄ちゃん。そして、「○○くんはお父さんで、××くんが弟で、△△ちゃんと□□くんがねこだった」と教えてくれた。「へえ、ペットまでいるんだ。エサとかあげるの?」「うん、勝手にどっか行っちゃったりもするよ」とかなり気ままなねこさんたちらしい。でもね、「お母さんは誰がやったの?」と聞くと、「あっ、誰もおらんかった。忘れてた」だって。えーっ! お母さんなしのままごとだったの? わたしたちの子どものころには考えられない話だ。お母さんを誰がやるかでもめたくらいなのに。最近は女の子が入ってきても、ペットや赤ちゃんになりたがる子が多いらしい。だから、お父さんやお兄ちゃんも料理をさせてもらえる。そりゃあ、男の子も楽しいわけだ。

 ままごとと聞いてわたしが真っ先に思い出すのは、やはり「さっちゃんのまほうのて 」という絵本だ。さっちゃんは生まれつき右手の指がない女の子だ。さっちゃんは幼稚園のままごと遊びでどうしても「お母さん」役をやりたかった。いつもは「妹」か「赤ちゃん」役ばかりだけど、もうすぐお母さんに赤ちゃんが生まれる。お母さんのおなかを触らせてもらって、自分も「お母さん」をやると心に決めてきたのだった。先生が「今日のお母さん役は誰ですか?」と聞いたとき、真っ先に手を挙げたさっちゃん。ところが、クラスの子たちから「さっちゃんにはお母さんはできないよ」「手のないお母さんなんて変」と言われてしまう。お父さん役の男の子にまで「おれ、お父さんやめた」なんて言われてしまうのだ。さっちゃんは、悔しくて悲しくて幼稚園を飛び出した。そして、その日から幼稚園に行くのをやめてしまうのだった。家で1人っきりで遊ぶ日が続く。「どうして、みんなの手と違うの? どうして指がないの? 小学校に行ったら、みんなみたいに指、生えてくる?」と質問されるお母さん。わたしがその立場だったら、どう答えてやるだろう。気丈にそして優しく答えてあげるお母さんの姿を見習いたいと思った。妹が生まれた後、病院からの帰り道、「指がなくてもお母さんになれる?」と心配そうに尋ねるさっちゃんに、「なれるとも。誰にも負けないお母さんになれるぞ」「さちこと手をつないでいると、とても不思議な力が伝わってきて、お父さんの体いっぱいになるんだ。さちこの手は魔法の手だね」と答えてあげるお父さん。この言葉のおかげで、さっちゃんは救われるのだった。ともぴーも「メガネをかけた子は入れてやらん」なんて言われて、べそをかきながら帰ってくるときがある。小さい子どもたちは、あまり深く考えないでこういうこと言うからね。障害を持った子やその家族よりも、周りで傷つける側に回りかねない子たちに読んでもらいたい絵本だ。

 ところで、ままごとの「まま」は、お母さんの「ママ」じゃなくて「飯」の方の「まま」。だから、お母さんのいないままごとも有りといえば有りだろう。でも、ペットと赤ちゃんだらけのままごとじゃあ、食事が大変だなあ。

さっちゃんの まほうのて Book さっちゃんの まほうのて

著者:たばた せいいち
販売元:偕成社
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告白

 つい先ほど、いつもブログを読んで下さっている方から、あることを告白された。最近、わたしのブログに障害者理解のカテゴリーがあることを知り、記事を読み、告白する気になったとおっしゃっていた。身内にダウン症の子が生まれたというのだ。その子の母親を気遣い、また、親戚との関係も気にしていらした。

 ダウン症という名前は聞いたことがあっても、正しく理解している人は少ないかもしれない。普通なら46本であるはずの染色体が47本になってしまったために生ずるもので、病気ではない。体質的な特徴と言った方がいいのではないかとわたしは思っている。それほどめずらしいものではなく、新生児の1000人に1人の割合でダウン症児は生まれるものらしい。外見的な特徴が現れたり、精神的な発達に遅れが出たりはするけれど、心臓などに重い合併症がない限り、普通の子どもと一緒に生活できるという。発達のスピードは健常児の2倍の時間がかかるといわれているけれど、ちゃんと同じ道筋で成長するのだそうだ。健常児の場合も同じだろうけど、特にダウン症の子どもの場合、赤ちゃんの頃から常に話しかけ、笑いかけ、抱きしめてあげることが大切だという話を聞いたことがある。相手に反応があろうとなかろうと常にサインを送る、それが重要なのだそうだ。わたしはともぴーが赤ちゃんの頃、何をするときも、身振り手振りを付けながらひたすら話しかけていた。たぶん周りの人から見たらおかしかったと思うけれど。ともぴーがしゃべり出した頃に「ベビーサイン 」の本を見つけたときには、やっていることが同じだったので驚いた。とにかく、小さいうちからいろんな意味で刺激をたくさん与えてやることが、ダウン症の子どもにとって重要という話だった。

ベビーサイン―まだ話せない赤ちゃんと話す方法 Book ベビーサイン―まだ話せない赤ちゃんと話す方法

著者:小沢 エリサ・ヒライ,リンダ アクレドロ,スーザン グッドウィン
販売元:径書房
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 それと、ダウン症の子を理解するためにいい絵本があるから、1つ紹介しておきたいと思う。「となりのしげちゃん 」という絵本だ。社宅に住んでいる女の子「あらたちゃん」は保育園の年長さんだ。ある日同じ社宅に少し年下の男の子が引っ越してきた。「しげちゃん」と呼ばれるその男の子を保育園で見かけたあらたちゃんは、思い切って話しかけてみた。ところが、返事をしてくれない。どこか他の子と違うと感じたあらたちゃんは、ある日、しげちゃんのお母さんに聞いてみた。「しげちゃんは病気なの? 話しかけてもみんなみたいにしゃべらないんだけど」と。すると、しげちゃんのお母さんは、「病気じゃないのよ。お父さんとお母さんからみんなと同じようにからだを作る地図をもらったんだけど、おまけが1つ付いているせいで、できるようになっていくのがみんなよりもゆっくりなの。でも、いろんなことを感じる心はみんなと同じなのよ」と教えてくれた。それを聞いて安心したあらたちゃんは、しげちゃんが返事をしてくれなくても、一生懸命話しかけてどんなことも一緒にするようになった。すると、ある日突然、しげちゃんが「あーちゃん」と名前を呼んでくれるようになった。そして、いろんなことが少しずつだけど、できるようになっていった。これは実際のダウン症児の1年を描いた写真絵本だ。ダウン症の子は、人なつっこくて明るい子が多い。大きくなって仕事をしている人もたくさんいる。ダウン症の子たちは、新幹線ではなく各駅停車で成長していく、それだけのことなのだ。そのことをわかってあげてほしい。

 ともぴーの乱視がわかってメガネをかけたとき、「どっちのせいで乱視になったの?」と心ない聞き方をしてきた人がいた。「やっぱり、奥さんに乱視があったから?」とまで言われた。障害を持つ子のお父さんやお母さんにそんな言い方は絶対にしないでほしい。どの障害もだれかのせいでなっているわけではないのだから。最近ではアレルギーを持っている子がたくさんいる。先天的な遠視や乱視でメガネをかけている子もいる。ダウン症もそんな体質的、身体的な特徴の1つと考えて見てもらえたらと思う。

となりのしげちゃん Book となりのしげちゃん

著者:星川 ひろ子
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今の自分にできること

 昨日から今日にかけて、日テレ系で24時間テレビをやっていた。テレビの企画に乗せられている……などと言われるかもしれないけれど、今年も見た。司会のアイドルや100キロマラソンに注目する人も多かったと思うけれど、わたしは、障害や病気に負けずに何かに挑戦する人たちと、それを陰で支える人たちに注目して見ていた。 

 わたしは、ともぴーを出産するまで医療事務をしていた。このブログを訪れてくれる人たちの中には、かつての仕事仲間も多い。わたしの場合、特定の医療機関に雇われていたのではなく派遣だった。独身のころからしていたために、身軽に動けるわたしなどは何カ所もの医療機関を掛け持ちすることになった。医療機関だけではない。診療科もいろいろと担当した。

 医療事務というと受付とレセプト点検というイメージだけど、たくさんの医療機関を担当すると一筋縄ではいかないことも多い。受付のヘルプで診療所に行くと、それぞれ違うメーカー、違う機種の医事コンピュータが置かれている。なのに、それをマニュアルなしで操作しなければならなかった。しかも、小児科に行くと、子どもの名前が凝りすぎていて一発では入力できないことも多い。でも、すぐに入力して処方箋を出さなければならない。頭が痛かった。とにかくパソコンがらみの仕事はいろいろさせてもらったし、数年分のホコリをかぶったカルテの点検をしたときにはアレルギーで目に潰瘍までできたから、目にはあまりよくない仕事だったと思う。

 わたしも月末月初はレセプト点検が主な仕事だった。医療事務の仕事を始めて最初に担当したところが500以上のベッド数をもつ精神科の病院で、見るもの聞くものすべてがわからないことばかり。勉強はこのときから始まった。それと平行して、整形外科と内科の診療所へコンピュータの入力をしに行っていたし、肢体不自由児の療養機関へも仕事をしに行った。そこでは、治療装具を見ると涙が出てきて仕方がなかった。最初の1ヶ月がそのような感じだったから、いろいろ衝撃を受け、様々なことを学んだ。その後、大きな病院をいくつも担当するようになっていくと、内科と言っても出てくる病名が診療所で見るようなものとは明らかに違ってきた。外科や心臓外科、脳外科、産婦人科などを担当していくと、ますますわからないことが増えていく。見たこともないような病名や治療行為がたくさん出てくるし、確認するレセプトも巻物のような長さになった。カルテとレセプトの記載を見比べて合っているかだけでなく、病名に対して医療行為や薬が合っているかなどを細かく点検するのに、「特別なプロ集団」というふれこみで送り込まれてしまうと、わからないところが出てきても迂闊に口に出して先輩に聞くことは許されない。メモを渡して聞くにも限度がある。だから、時間を作っては大きな本屋さんや図書館に行って専門書を読みあさった。大阪の紀伊国屋、旭屋、ジュンク堂、神戸の駸々堂など、関西の大型書店には本当にお世話になった。そして、いろいろ読んでいくうちに気がついた。お医者さんや看護婦さん向けに書かれた専門書よりも、実際に病気を患った人や、そのような人を看病している人たちが書いた本の方が、病気に関してよくわかるように書かれている。治療法や薬などについても。絵本や子ども向けに書かれたものもたくさん読んだ。だから、難病や障害などに関しては一般の人よりも多少詳しくなったし、関心も持つようになったというわけだ。

 知ってしまった以上、何かはするべきだろう。でも、自分が病気や障害を体験しているわけでもないのに、それをテーマにお話を書くことには少々ためらいがある。だから、今のわたしにできることの1つとして、病気や障害の理解に役立つ絵本を紹介することにしたのだ。

 今日は「14の心をきいて 」を紹介したい。つちだよしはるさんが実際に交流されている聾学校の生徒たちをモデルに書かれたお話だ。耳が聞こえにくいゴンタは、普通学級にいたころはいつもけんかばかりしていた。ところが、聾学校に転入すると、他の子の方が聞こえにくいためにけんかにはならなくなった。でも、ゴンタはなかなか心を開こうとしない。そんなある日、ゴンタは口の動きで相手の言っていることを知るための授業をさぼってしまった。耳が少し聞こえるゴンタにとっては退屈だったのだ。学校の中を探検していくと、先生たちが一生懸命1人1人のことを考えてくれていること、みんなが今できることを一生懸命やろうとしていることなどがよくわかった。このことをきっかけにゴンタはみんなに心を開いていく。ところが、文化祭の準備のために外へ買い物をしに出かけると、健常者の人たちの態度が冷たい。「聞こえる耳を持っているのに聞こうとしない」と悔し涙を流すゴンタだった。つちださんの絵がかわいらしくオブラートをかけてくれているのに、読むたびにゴンタの言葉が心に突き刺さって痛い。郡司ななえさんの「ベルナとなみだのホットケーキ」の中にも似たようなことが書かれていたけれど、本質は心の目で見て、心の耳で聞かなければいけないんだろう。でも、健常者の心の目や耳は働いていないことが多い。だから、24時間テレビなどの企画で、定期的にこじ開けてもらわなければならないのかもしれない。

14の心をきいて Book 14の心をきいて

著者:つちだ よしはる
販売元:PHP研究所
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いつもの絵本

 今日、1ヶ月ぶりにともぴーを眼科に連れて行った。定期的にしている視力検査のためだ。以前の記事に書いたとおり、ともぴーは乱視補正用のメガネをかけている。先生が驚くほど劇的に補正視力が上がったおかげで、眼科通いも1ヶ月に1度でよくなったけれど、以前は毎週だった。ともぴーは、意外なほどに視力検査や先生の治療を嫌がらない。というよりも、楽しんでいるくらいだ。それなのに、待合い室には1つだけ文句があるそうだ。絵本が1冊しかないこと。小児科や耳鼻科にはたくさんの絵本があるのに、なんで眼科には1冊だけしかないの? という意味で文句があるらしいのだ。

 でも、ともぴーはその1冊の本をえらく気に入っていて、毎回持ってきては「読んで!」と言う。「ベルナの目はななえさんの目 (絵本・こどものひろば) 」。27歳で失明した郡司ななえさんの実体験が絵本になったものだ。ななえさんとこうじさんは仲のいい夫婦だけど、2人とも目が見えない。こうじさんは子どものころから目が見えないから白いつえを使い慣れているが、大人になってから目が見えなくなったななえさんは白いつえを使って歩くのがあまりうまくない。だから、つまずて転んではケガばかりしている。ななえさんは子どもがほしいと思っていたけれど、落としてけがをさせてはいけないからとあきらめかけていた。そんなある日のこと、こうじさんが「盲導犬がいれば、2人きりでも子どもを育てられるかもしれない」と言い出した。ところが、ななえさんは子どものころの怖い体験から犬が苦手なのだ。「どうしよう」と思ったけれど、ななえさんにとって、子どもがほしいという気持ちは、その怖さよりも強いものだった。ななえさんは、訓練所でベルナと出会い、辛い訓練を一緒に乗り越えた。そして、いよいよ自宅に帰る日が来たのだが……。ベルナと一緒に電車に乗ると、駅員に止められてしまった。それだけではない。スーパーには立ち入りを断られ、バスにも乗せてもらえない(ほんの数年前までは盲導犬でさえもそういう扱いを受けていたのだ)。そんな困難が続く中、ななえさんとベルナは支え合って成長していった。そして、ななえさんは待望の赤ちゃんを授かるのだった。

 ベルナが亡くなったのはもう12年も前のこと。ななえさんは、ベルナの生前から保育園などを回って盲導犬の話をする「ベルナのお話の会」を続けられている。今は3頭目のパートナー「ペリラ」と共に。少しでも盲導犬に関心を持ってもらえたのなら、一度ななえさんのオフィシャルサイト「盲導犬ベルナ~郡司ななえとしっぽのある娘達」も見てみてほしい。

 盲導犬ベルナの絵本は、童心社版以外にハート出版からも出ている。ともぴーはその絵本も書店で見つけてしまった。まだ難しいかな……と思ったけれど、結局はシリーズ全部を読んで、それなりに理解している。そして、この秋「ベルナのしっぽ」が映画になる。ベルナのご主人の名前は「ななえさん」ではなく「しずくさん」になるらしい。「ななえさん」のままでもいいのに……と思うのはわたしだけだろうか。ちなみに、ともぴーはこの映画も見に行きたいと言っている。

ベルナの目はななえさんの目 Book ベルナの目はななえさんの目

著者:郡司 ななえ,織茂 恭子
販売元:童心社
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ベルナのしっぽ  角川文庫 Book ベルナのしっぽ 角川文庫

著者:郡司 ななえ
販売元:角川書店
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シンシアのお墓

 今日は、アキの先代「コロ」(こちらもメスの柴犬)のお墓参りに行ってきた。お墓参りと言っても、動物霊園の共同墓地と、写真やお骨の一部を置かせてもらっているレンタルスペースに、お花やお菓子をお供えしてくるくらいのものだけど……。さすがにお盆だけあって、他にもお参りに来ている人がたくさんいた。宝塚駅からほど近いその動物霊園には、共同墓地の他にも、区画墓地があって、そこには人間のお墓と見間違うほどに立派な墓石もたくさん並んでいる。ふとそちらを見ると、真新しいお墓が目についた。近づいて見てみると「介助犬シンシア」のお墓ではないか。今年の春に亡くなっていたのだ。

 わたしは、岐阜に移り住む前には宝塚市に住んでいた。ともぴーを出産したのも宝塚市だった。当時はまだ、「障害者補助犬法」が施行される前で、介助犬はあまりメジャーではなかったけれど、すでにシンシアが活躍していた宝塚では、他の土地よりも早くから介助犬の受け入れをしている施設があったし、ケーブルテレビでもシンシアの活躍が度々紹介されていた。それに、わたしは宝塚の町の中で実際に何度かシンシアに出会って、活躍を目にしたことがある。だから、昔なじみが亡くなったようでショックだった。

 介助犬というのは、手足が不自由な人の日常の動作を補助するために訓練された犬だ。車椅子を引っ張ったり、落とした物を拾い上げたり、ドアの開け閉めをしたりというような、本当に日常の生活に必要な動作の手助けをしている。盲導犬に比べて認知度が低いけれど、「体の不自由な人のために大切な仕事をしている」という点では負けてはいない。2002年に「障害者補助犬法」が施行されて、少しずつ認知されてきてはいるものの、法律自体にまだまだ問題点が多く、大事な働きをする犬なのに、立ち入ることのできる場所が限られているのが現状だ。これも法律を作る人が、健常者だからなんだろうか。一般のペットではないのだから、日常生活をするために必要な場所になら、盲導犬、介助犬、聴導犬など、人の基本的な生活を手助けをする犬の立ち入りは認めてくれてもいいのに……と思ってしまう。

 介助犬という存在に少しでも関心をもってもらえるのなら、ぜひ、介助犬シンシアの日記というホームページを訪ねてみてもらいたい。シンシアのパートナーだった木村佳友さんご夫妻のホームページだ。今は、後継犬エルモと共に講演活動をされている。今月下旬には、今日訪れた宝塚動物霊園でも講演をされるそうだ。また、元気だったころのシンシアの一日を写真と共につづった絵本「ありがとうシンシア―介助犬シンちゃんのおはなし (どうぶつノンフィクションえほん) 」や、毎日新聞に連載されていた「グッドガール! シンシア」を編集した童話絵本「介助犬シンシアの物語 」も出版されている。どちらの本も漢字にルビが振られているから、子どもでも読むことができる。ぜひ、親子で一度手に取ってもらいたい本だ。

ありがとうシンシア―介助犬シンちゃんのおはなし Book ありがとうシンシア―介助犬シンちゃんのおはなし

著者:小田 哲明,太田 朋,山本 由花
販売元:講談社
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介助犬シンシアの物語 Book 介助犬シンシアの物語

著者:太田 朋,寺田 操
販売元:大和書房
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車いすのマーク

 最近では、どのショッピングセンターにも、店舗入り口の近くに車いすマークの駐車スペースがある。でも、どう考えても健常者としか思えない人がそのスペースを利用していることが多い。昨日も、とっても元気に車から降りて駐車スペースのカラーコーンをどかし、大きな車を停めているおじさんの姿を目撃した。その車には同乗者はいなかった。なのに、車いすマークのステッカーをつけている。いつもは障害者を乗せているということなのか、それとも……。

 聞くところによると、カー用品の店に車いすマークのステッカーが売られていて、誰でも買うことができるのだそうだ。そのため、健常者が車いすマークをつけている場合も少なくないという話だ。車いすマークのスペースは、車いすの人が乗り降りする関係上、他のスペースよりも幅が広い。だから、運転に自信がない人や、大型車に乗っている人は停めたくなるのかもしれない。それに、入り口近くということで、あまり歩きたくないような人も停めてしまうのだろう。でも、偽装までして停めるような人、本当にいるんだろうか?

 わたしの知っている本の中に、車いすで生活している人の気持ちを描いた絵本がある。「わたしの足は車いす (あかね・新えほんシリーズ) 」という絵本だ。車いすで生活しているアンナは、初めて1人でお使いに行くことになった。すると、人々が向けるのは同情と好奇の眼差しばかり。何気ない一言に傷つけられた。環境も障害者には優しいとは言えない。横断歩道の段差に悩まされた。助けを求めても助けてくれる人はなかなか現れない。そんな中で、ジギーという男の子だけは手を貸してくれた。しかも、同情ではなく、1人のともだちとして。

 車いすスペースに平気で車を停める健常者の人たち、どうして入り口近くにわざわざ大きなスペースを割いてああいうものを設置しているのか、この本を読んで考えてみて欲しい。自分だって、いつ車いすに乗る立場になるかわからないのだから。

わたしの足は車いす Book わたしの足は車いす

著者:フェレーナ バルハウス,フランツ=ヨーゼフ ファイニク
販売元:あかね書房
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どんなかんじかなあ

 ともぴーは幼稚園児ながらメガネをかけている。乱視を補正するためのものだ。視力が育つ段階で見えにくいままにしておくと、視力が正常に育たず、大きくなってからメガネをかけても普通には見えない、いわゆる弱視になってしまうそうだ。ともぴーの場合は、ありがたいことに最初からメガネを嫌がらずかけてくれたので、今年3月にはメガネをかけても0.5ずつしか見えなかったものが、今ではそれぞれ1.2ずつ見えるようになった。眼科の先生も驚くような成果が出たので、本当に早く気がついてよかったと思っている。

 幼児のメガネは、ほとんどの場合が遠視か乱視の治療用。小さい子の場合、見えにくいままにしておくと、目の神経が見なくてもいいものと判断して、見るのをやめてしまうのだそうだ。ともぴーの場合、両方が同じくらい悪く、目を細めたり異常に物に近づいていたりしていたから、比較的早く気がついたけれど、それでも目を細めればかなり遠くまで見えていたので、3歳児検診をパスしてしまった。片目だけ悪い場合にはかなり見落としが多く、小学生になるくらいまで気がつかないらしい。

 早く気がついたとしても「小さい子にメガネはかわいそう」という考え方が根強くて、治療が遅れることが多い、と眼科の先生が嘆いていらした。たまたまうちの場合、わたしが近視と乱視でメガネをかけているので、「見えにくいままの方がかわいそうだ」と思えたのだけど。そういえば、わたしがいつもお世話になっているメガネ屋さんが、ともぴーのメガネを作る前に「もし、ご主人がお子さんのメガネを理解して下さらない場合は、お子さんがどのような画像を見ているのか疑似体験していただけますので、おっしゃってください」なんて言っていたっけ。逆に見えにくくするレンズをわざわざ用意しているのだそうだ。実際に子どもがどのような画像を見ているのかを体験してみて初めて同意するような親も少なくないらしい。自分の子が見えにくい思いをしていてもそんな感じなのだから、よその子のメガネは理解できなくても無理ないかな。今日も見ず知らずの人から「小さいうちからかわいそうに」って言われた。無意識のうちに言っているのだろうけど。

 メガネのレベルでこれなんだから、もっと他の障害を持っている人たちは、なかなか理解してもらえず困っているんだろうなと思う。「どんなかんじかなあ 」という障害者を題材にした絵本があるのだけど、あれは不思議な読後感をもつ絵本だった。ひろくんは、目の見えない友だちのことを思って、どんな感じがするものなのか、実際に目を閉じて考えた。すると、「目が見えなくてかわいそう」ではなく、「目が見えないとたくさんの音が聞こえるのに、ぼくにはあんまり聞こえない。目が見えるのは損だ」と思った。耳の聞こえないお友だちのときも同様、耳をふさいで考えた。ただ、両親のいない子を理解したくても、実際に体験するわけにはいかない。だから「わからないけど、きっとさみしいだろう」と感じるに至った。そんなふうに考えるひろくんも実は……。その秘密がわかった瞬間、もう一度最初から読み直して「なるほど」と思わされた。そして、健常者がなかなか障害者を理解できない理由がちょっとわかったような気がした。今、この本は小学校1,2年生の課題図書として書店に並んでいる。目を閉じたり耳をふさいだりしながらいっしょに感じてもらいたい一冊だ。

どんなかんじかなあ Book どんなかんじかなあ

著者:和田 誠,中山 千夏
販売元:自由國民社
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