泣いている横で

 今週の月曜日、ともぴーが作品展の代休でお休みだったので、かねてから約束していた「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見に行ってきた。確かに、内容は幼稚園児のともぴーには難しい。でも、前作も最後までしっかり見たともぴー。ストーリーがどうこうよりもおじいちゃんおばあちゃんが若かった頃の生活を見てみたいという気持ちの方が強いみたいだ。まあ、そんな見方でも真剣に見てくれるならいいだろうと、連れて行ってみた(まあ、わたしも見たかったし)。

 ナント、その日は映画館が入っているショッピングセンターの7周年記念。全作1000円の特別料金で映画を見ることができた。ともぴーが本屋さんでもらってきた割引券は子ども料金にだけ適用されて、2人で1800円也。いつもの大人1人分だ。浮いたお金でパンフレットとお約束のポップコーンを買って席に着いた。平日の朝一番にしては観客が多い。観客の年齢層も幅広くバラバラだった。自分の若かりし頃を懐かしみに来たおじいちゃんおばあちゃん世代から、自分の子ども時代を思い出す50代くらいの人たち、小さい頃にこんな生活の名残くらいはあったなあとちょびっとだけ懐かしさを感じるわたしたちくらいの世代、それとそんな親やおじいちゃんおばあちゃんに連れてこられた小学生が数人。やっぱり、ともぴーは最年少の観客だった。

 映画は今も大ヒット上映中だから、内容に関してはあんまり詳しく書けないけれど、いきなりゴジラの大暴れから始まったのには驚いた。ともぴーは大喜びだったけどね。まあ、それは売れない小説家の茶川竜之介が空想していただけだったんだけど、いきなり街が壊されて終わり? と思わされた。今回の舞台は前作の翌年、昭和34年の春から冬の1年間。今回の話は、小説家の茶川と彼を慕う血のつながらない小学生の淳之介、それと前作で親の借金を払うために街を出て行ったヒロミの3人が一緒に暮らすという夢を叶えられるかどうかという点が中心にあった。でも、それ以外にも鈴木オートの則文、トモエ、一平家族やそこに住み込みで働いているロクちゃんこと六子、家庭の事情で一緒に住むことになった美加など、三丁目に暮らしている人たちそれぞれに関するドラマが織り込まれていた。特に、鈴木オートのお父さんお母さんに関するエピソードには、「戦後10年以上経ったあのころでも戦争の影響は残っていたんだなあ」「戦争で運命が変わった人はきっとたくさんいたんだろうなあ」と思わされるもの。それぞれのエピソードに大小の違いはあったけれど、無理なく織り込まれていて、本当に暮らしている人たち全員にドラマがあるという感じだった。わたしはヒロミが列車の中で茶川の書いた小説を読み始めた辺りからポロポロと涙が止まらなくなり、ずっとハンカチ片手に見ていた。なのに、ストーリーがメインではないともぴーは、……なぜか隣りで笑っている。おいおい、このシーンで笑うか? まったく……ともぴーはホーロー看板に知っている商品名を見つけたり、茶川商店の前に群がる記者の中に日テレの羽鳥アナを見つけたりする度にひそひそ声で報告してくれる。鈴木オートのお父さんお母さんが16ミリフィルムを見ている時は「昔のは何で音が入っていないの?」とうるさいし、東京タワーに初めて登ったお父さんが「片方に寄ったらタワーが倒れる」と心配しているのを見てもえらくウケていた。わたしはエンドロールのバックで流れる主題歌を聴きながら再び涙。ともぴーはそんなわたしを見て再び大笑い。ストーリーはそれなりに理解しているようだったんだけど、感受性の違いなんだろうなあ。まだまだ人生経験が足りないよなあ……6歳だもん。

 もちろん映画だけでなく、絵本の読み聞かせをしているときにも同じようなことがある。最近ではあのティラノサウルスシリーズ最新作「わたしはあなたをあいしています 」を読んだときがそうだった。ティラノサウルスシリーズはどれもこれも最後の方で涙が出てきて、読む人泣かせの絵本なんだけど、子ども目線では笑えるところもあったりするんだよね。昔々のこと、ティラノサウルスが暮らしていたところでは、寒さのためにたくさんの恐竜が死んでいた。食べるものが無くなったティラノサウルスは、肉食の翼竜タペヤラの案内で食べ物があるといわれる場所へ移動を始めた。でも、それはでたらめの情報で、タペヤラの陰謀だった。タペヤラに裏切られ、心も体も傷つけられたティラノサウルス。そんなとき、ティラノサウルスの前に現れたのは、緑の森とそこに住んでいる言葉の通じない3匹のホマロケファレの子どもたちだった。純真な3匹はティラノサウルスの恐ろしさをまったく知らない。3匹を食べようと口を開けたティラノサウルスをも仲間と信じ、無邪気に優しく接してくれた。そんな3匹とふれあっているうちにティラノサウルスにも優しい心が芽生えてきた。これで言葉が通じればもっと楽しく暮らせるだろうと思ったティラノサウルスは、少しずつ3匹に自分の言葉を教えることにした。ところが、そのことが原因でとんでもない悲劇が起こってしまう。わたしはこれを読むと泣けてきてしまって、途中から読み聞かせにならなくなってしまうのだけど、ホマロケファレの言葉が普通の言葉を逆から読んだ言葉なので、ともぴーには大ウケ。大まじめに読んでも大笑いされてしまう。まあ、最後に3匹が殺されてしまったと思うわたしと、間一髪ティラノサウルスに助けらたと信じているともぴーの違いもあるんだろうけどね。まだ泣ける話を聞いて泣く年ではないのかな、ともぴーは。

 そうそう、先日ともぴーが借りてきた「みなしごハッチ」のDVD。わたしも初めて第1話を見た。子どもの頃再放送で何度か見たことがあるハッチなんだけど、第1話を見たのはたぶんこれが初めて。あんな始まり方だったなんて……と年甲斐もなくボロボロと涙を流してしまった。今年は仮面ライダー電王の映画でも泣いたしなあ。年のせいで涙腺がゆるんでいるのかも。修理しなければ。

わたしはあなたをあいしています

作・絵 :宮西達也 ポプラ社

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ほぼ毎日

 昨晩は、久々に新しい記事を書かずに寝た。それはただ単にまともな記事が書けなかったから。書きたい内容はいくつかあったんだけど、それらをどうしても絵本と結びつけられなかったからだった。そこで、6月12日の記事「パンの日」を寝ながら書いてしまって大失敗したときの教訓、「書けないときはムリヤリ書かない。眠いときはきちんと寝る」を実行したんだけど……。そうしたら今朝、「大丈夫? 記事が更新されていなかったけれど、寝込んでたりしない?」という電話がかかってきてしまった!! 

 1年近くほぼ毎日更新してきたから、ほぼ毎日見に来てくれている人も結構いたりする。その人たちにしてみれば、記事が更新されていなかったら「病気? 怪我? それとも家族のだれか調子悪くて看病してるの?」なんてことを思ったりするわけだ。でも実際は、ビリー隊長とブートキャンプエリートのミッション2をこなせるくらい元気だったりするの。今回は、本当にご心配おかけしてごめんなさいm(_ _)m

 絵本の中には、完全な自分を探して転がり続けた結果、欠けた部分のある自分の方がいいという結論に達した話がある。そう、あの「ぼくを探しに 」だ。「何かが足りない」と思ったぼくは、ある日自分のかけらを探しに行くことにした。ぼくというのは欠けた部分がある円だ。円グラフで言うなら90%強と言ったところ。ぼくは転がりながら自分に合いそうなかけらを探し続けた。上手く転がれないぼくは、道中いろいろな物に出会い様々なことを考える。そして、いろいろなかけらに会うのだけど……それらは大きすぎたり小さすぎたり尖っていたりしていて、なかなかしっくりとこなかった。でも、とうとうピッタリとはまるかけらを発見。ぼくはうれしくって一生懸命転がった……と、普通ならそこでめでたしめでたしとなりそうなところだけど、この話は違う。かけらがピッタリはまって完璧な円になったぼくは、上手に速く転がれるようになったけれど、かえってそのために、ゆっくりと話をすることも、花の匂いをかぐことも、チョウに止まってもらうこともできなくなった。そこで、考えたぼくはそっとかけらを下ろし、かけらとは別々の道を行く決心をした。と言っても、作者はこの話を通して、決して「1人で気ままな人生を送った方がいい」とかそういうことを言いたいのではないと思う。「完璧が必ずしもいいとは限らない」ということを言いたいんだろうとわたしは感じた。かけらの方から見たストーリー、「ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに 」と一緒に読むと「う~ん」とうならされることが多い。大人のための哲学絵本だ。

 もちろん、何事においても続けることが大切だとは思う。「継続は力なり」なんて言葉もあるものね。でも、「必ず毎日やらなくちゃ」と力を入れすぎると、かえって続かなくなるということもある。わたし自身、自分のブログは「更新はほぼ毎日……だからお休みすることもあるよ。書いているうちに日付が変わってしまうことはしょっちゅうだしね」という逃げ場があるから続いていると思っている。ブートキャンプもそう。一応毎日は続けているけれど、即結果を出そうと焦ると続かない。エクササイズも完璧に全部やろうと思うときっと続けられなくなる。完全にやめたりしたらそれまでだけど、自分のできるペースでやって休み休みでも続けていれば、その方が結果もついてくると思う。だから、これからもほぼ毎日ということでご勘弁を。でも、ご心配下さった方々、本当にどうもありがとう。このブログは、しょっちゅう見に来て下さっているみなさんのおかげで続いていることも確か。もし、「おいおい、大丈夫かい?」と感じたら、これに懲りずにまた電話下さい。よろしく!

ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに

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1年間の作品

 今朝、ともぴーを園バスに乗せるとき、バス当番の先生が1年間の作品が入ったケースを持ってきて下さった。表紙には、今月の作品が貼ってある。折り紙で折ったチューリップが大小合わせて5本。茎と葉っぱはクレヨンで描いてあった。お花畑の中にお友だちとともぴーがいる絵なのだけど、チューリップの間からぶたやパンダ、うさぎなどが顔を覗かせている。花の上にはミツバチとチョウチョ。でも、その横には黄色い食パンのような形の物も2つ飛んでいて、それが何なのかよくわからなかった。ともぴーが帰ってくるのを待って「これは何?」と聞いてみたら……「ハチミツが空から降ってきたところ」だって! 花の中に蜜があるとは思っていなかったようだった。

 ケースの中には、4月からの作品と、好きなときに好きなように好きな物を描いてきた自由画帳が入っていた。順番に見ていくと、4月の物と今の物とでは全然描き方が違っている。描き方だけでなく、描く対象もまったく違っていた。年中に入った頃は、絵よりも字に興味があって、ただひたすらウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊の名前を古い物から順番に書いていた(逆順に書いているのもあったけれど)。「何がおもしろいの?」と思えるくらい、字ばかりだった。でも、途中から絵を描くようになってきて……でも、最初のころはヒーローの顔ばかりだった。それが最近になると、車や果物、動物なども描くようになってきている。まだ手足の描き方は雑だけど、指があることには気が付いたようで、一生懸命棒みたいな指を5本ずつ描いていた。去年も同じように1年間の作品をもらったけれど、同じ行事の絵、お父さん、お母さんの顔など同じテーマで描いた絵を見比べると、その成長がよくわかる。果たして、次の1年はどう変化していくんだろう? 今からちょっと楽しみだ。

 さて、今日は子どもの絵からメッセージを感じ取るという意味で、絵本ではなく詩画集を紹介しようと思う。「電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ 」というこの本は、長野県立こども病院に長期間入院し、病と闘った子どもたちが書いた詩、作文、版画などを収めた詩画集だ。院内学級で学ぶ子どもたちは「命」と向き合って毎日を送っている。そして、生と死の狭間にあっても、小さな身体であきらめずに闘い続けている。彼らの生み出す作品には、優しさと共に力強さが感じられる。健康であることの幸せ、生きていることの重みを私たちに感じさせ、元気と勇気を与えてくれる一冊だ。ぜひ、一度手にとって読んでみてもらいたい。

 子どもの絵は心の中をよく表していると言う。でも、絵と子どもの心理について書かれた本をこれまで何冊か読んだことがあるのだけど、わたしにはともぴーの心の中はあまり読み取れなかった。「何でお友だちを真ん中に、自分を端っこに描いたんだろう?」とか、「何で太陽を2つも描いているんだろう?」とか、不思議に思ったことはいろいろとあるのだけど、それが何かを表しているのか、ただ技術的なもの、知識不足によるものなのかがよくわからなかった。楽しそうに自分の絵を説明してくれるともぴーを見て、絵を描くのが好きなことと、幼稚園が楽しいということはよくわかったのだけど。

電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ Book 電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ

販売元:角川書店
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ないない大実験

 スーパーで品切れしている食品を見かける度に、「これって、どっちの番組で紹介されたんだろう?」とこれまでいつも思っていた。その番組とは、平日昼間の「おもいっきりテレビ」と日曜夜の「あるある大辞典2」のことだ。過去には寒天や黒酢、スキムミルク、黒豆などが売り場から消えたし、つい先日は納豆が品切れしていた。1日おきくらいに、しらすやネギを入れて晩ご飯のおかずに出していたわたしとしてはとっても迷惑した。それなのに、「納豆食べてやせるって言うんだったら、わたしたち、もっとやせていてもいいのにね……」なんてパパと話していたら、今朝の朝刊1面に、あの放送データはねつ造だったと載っているじゃないの! 測定していない数値をもっともらしく紹介して、「正常値になった」「こんなにやせた!」とやっていたのだそうだ。アメリカの大学教授のコメントに日本語訳のテロップが出ていたらしいけど、実際に言っていないことを書いて情報操作したとも言われている。ねつ造が6カ所、それに加え、何の断りもなくある書物中のグラフを抜き出して使用していたことがわかった。あれだけ影響力のある人気番組だったのに、制作会社がこんなつまらないことをしてしまったために、今日の放送は休止。今後も放送を続けるかどうかが未定になっている。あ~ぁ、うそを隠していたのは食品業界だけでなく、放送業界もかい!

 というわけなので、今日は、いくらごまかそうとしてもうそは必ずばれるというお話を紹介したい。「おしゃべりなたまごやき 」という絵本だ。ある日、退屈していた王様が、にわとり小屋ににわとりがぎゅうぎゅうに詰め込まれているのを見かけた。かわいそうに思った王様は、ついつい小屋の扉を開けてしまう。すると、にわとりが一斉に飛び出してしまい大騒動に。王様がにわとりに追いかけられていると勘違いした家来たちは犯人探しを始めた。王様はプライドもあってか、本当のことをなかなか言い出すことができない。鍵を開けたところを見ていためんどりに、王様は「言うなよ」と口止めをするのだけど……そのめんどりが産んだ卵が目玉焼きになったとたん(タイトルはたまごやきなんだけど、絵を見ると明らかに目玉焼き)、一部始終をしゃべってしまう。でも、それを聞いたコックさんは「だれにも言いません」って言っていたなあ。果たして、犯人が王様ってことは、コックさんのところで止まったんだろうか? そのことが子どものころからずっと気になっているわたしだった。

 「ばれないうそはない」っていうのに、あらゆる方面で偽装やねつ造が後を絶たない。今回の納豆のデータをねつ造した会社は、以前テレビ東京の情報番組でもねつ造をして、その番組を打ち切らせてしまったと聞いている。うその代償が大きいってわかったはずなのに、ぜんぜん学習してないんだなあ。

おしゃべりなたまごやき Book おしゃべりなたまごやき

著者:寺村 輝夫,長 新太
販売元:福音館書店
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バラバラにしてしまう前に

 ここ数日、夫や妹など、一緒に暮らしていた家族を殺してバラバラにしてしまった人たちのことが話題になっている。ここ数年、家族間殺人の多さには異常さを感じていた。それが、遺体をバラバラに切り刻んで捨てるようになってきたなんて、ますます尋常ではない。相手に対する憎しみが深かったのか、ただ単純にゴミとして捨てやすくしたかっただけなのか、それはよくわからないけど、とにかく恐ろしい話だ。おそらく、殺人を犯すような人は、世の中でもごく一部の人だろうし、ましてや遺体をバラバラにしてしまうような人は、その中でも一握りだろう。でも、些細な言葉や態度で、だれかの心をバラバラにしまっている人は多いように思われる。虐待、ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力など家庭内の問題から、学校内でのいじめ、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、ドクターハラスメントなど社会的な問題まで、だれかを身体的、精神的に傷つけるような事件がニュースにならない日がないのだから。

 「おこりんぼママ 」という絵本をご存じだろうか? ぼく(ペンギンの男の子)はママにひどく怒鳴られたショックで、体がバラバラになってしまった。頭は宇宙へ、おなかは海へ、翼はジャングルへ、くちばしは山へと飛んでいき、残ったのは足だけ。ぼくは自分のパーツを探してさまよい歩いた。でも、目も見えず、口もきけない状態ではどうしようもない。途方に暮れたそのとき、ママがあっちこっちからぼくのパーツを探し集めてきてくれた。そして、それらを全部を縫い合わせてぼくの体を元に戻してくれた。ママが「ごめんね」と言って抱きしめてくれたとき、ぼくも「やっぱりママがいちばんさ」と言うことができた。バラバラになった体だけでなく、心も元に戻った瞬間だった。……でも、このセリフ、何度も同じ人にバラバラにされていたら、きっと言えなくなってしまうに違いない。子育て中のおかあさんには、ぜひ一度読んでもらいたい。子どもの心をバラバラにしてしまう前に、踏みとどまらせてくれる一冊だ。

 実際には、人間の体がバラバラになるようなことは、バラバラ殺人以外ではまずない。だから、人の心を傷つけても、目に見える状態にはならず、相手の痛みもわかりにくい。怒られたり、脅しつけられたり、なじられたりした人の心は、子どもでなくてもこんな風にバラバラになってしまっているはずなのに。傷ついた心は、すぐにだれかがフォローしてあげないと、バラバラどころかどんどん粉々になっていく。そうなると、細かいかけらは見つからなくなってしまい、いくらあとでだれかが一生懸命縫い合わせてあげようとしても、すきまを埋めることができなくなってしまう。もしかしたら、今回の事件で、遺体をバラバラにしてしまった容疑者の人たち、彼らの心の方が、事件よりも先にすでにバラバラになっていたのかもしれない。バラバラの心で起こしたバラバラ殺人事件だったのかもしれないなあ。

おこりんぼママ Book おこりんぼママ

著者:ユッタ バウアー
販売元:小学館
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おじさんになっていたけど

 今日はともぴー念願の「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」を見に行った。今回は、途中でトイレに行きたくならないように、ジュース禁止。ポップコーンは買ったけどね。

 この映画の舞台は神戸。10年以上を過ごした土地だから、出てきた場所はすべてわかる。しかも、子どものころ見ていたウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマン、エースが活躍する。まわりのお父さんや子どもたちに負けないくらい集中して見てしまった。

 ウルトラ兄弟はメビウスを助けに来るちょい役として登場するのではなく、ストーリーの中心に位置していた。主役のミライくんに助言を与える先輩としてだけでなく、おじさんになった今のハヤタ、ダン、郷、北斗が変身してしまうのだ。失敗すると、いい年したおじさんが……となりそうなところなのに、意外なほどかっこよかった。20年前、神戸沖で邪悪な心をもつヤプールと戦っていた彼ら。変身能力を失うことを知りながら、力を振り絞ってヤプールを海に封印した。そして、自分たちが愛した地球で、人間として生きてきたのだった。時が過ぎ、ウルトラルーキーとしてメビウスが地球にやって来た。そのメビウスが若さ故に陥ったピンチを救うため、また彼らは命がけで変身して戦うことを選ぶ。タロウとゾフィーは最後の方でちょっとしか出てこなかったけど、おじさんたち、かっこよかったよ。本編が終わってエンドロールが流れても、誰1人席を立たなかったなんてすごい。この映画の中には、「大切なことは、最後まであきらめないこと。信じる心が勇気になる」という言葉が何度も出てきた。ともぴーの心にきちんと届いてくれたかな。

 見た目はヒーローとほど遠くなってしまったおじさんたちだったけれど、若いミライくんにはないかっこよさを持っていた。本当のかっこよさは、見た目だけではわからない。「かっこわるいよ!だいふくくん 」に出てくるだいふくくんもそうだった。夜中の和菓子屋さんの店先で、だいふくくんが他のお菓子たちから「かっこわるいよ」とからかわれていた。白くて粉を飛ばすとか、形がまるいだけとか、仲間がいないとか。でも、他のお菓子たちにも悪気があるわけではなく、自分のことを自慢したくて、人のいい(?)だいふくくんのことをおもしろおかしくからかっているだけなのだ。だいふくくんは、何も言わずにじっと耐えていた。すると、そこにハラペコねずみがやって来て、和菓子たちを襲い始めた。お花の形のお菓子が追いつめられてしまう。仲間のピンチをただ黙って見ていることしかできないみんなの中で、たった1人勇敢に立ち向かっていったのはだいふくくん。ねずみに体当たりして見事追い払った。しかし、だいふくくんの頭はぱっくりと避けて、中身が見えるほどになってしまった。よく見てみると、いちごが顔をのぞかせている。だいふくくんはいちごだいふくだったのだ。それを見たお菓子たちは「からかってごめん」と言うのだが、だいふくくんは黙ってみんなの前から去っていった。だいふくくんが行った先は、ハラペコねずみのところ。自分を全部食べさせる代わりに、もう2度とみんなのことを襲わないと約束させる。コミカルな語り口なのに、最後には涙を流しながら読むことになってしまう作品だ。

 ともぴーは、映画を見た後「すごい! おじいちゃんになっても変身できるんだ」と言っていた。そうか……わたしはおじさんだと思ったけど、ハヤタさんはパパ方のおじいちゃんと同じ年なんだ。変なところでまたビックリさせられた。

かっこわるいよ!だいふくくん Book かっこわるいよ!だいふくくん

著者:宇治 勲
販売元:PHP研究所
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いくつになっても

 明日は「敬老の日」だ。以前は9月15日と決まっていたのに、いつの間にか9月の第3月曜日になっちゃってたんだよね。何年経っても慣れないなあ。成人の日も、体育の日も……。

 正直言うと、わたしもパパも、ともぴーの年の割には若くない。だから、わたしやパパの両親も若くはない。とは言え、まだ老人扱いしてしまっては怒られる。65歳以上はいろいろなところで割引を受けられるから、それはそれで受けているのだけど、「年寄り扱いはするな」なんて勝手なことを言っている。確かに、老け込むかどうかはそれぞれの心の持ち方や過ごし方で違ってくるものね。年だけじゃ決まらない。

 わたしの父は(そう、今までの記事にも度々登場しているあのじいちゃん)、もうすぐ69歳になるけれど、とてもパワフル。わたしたちも見習いたいくらいだ。昨年のお正月に初めてワープロをさわったというのに、その年の秋には、パソコンを駆使して調律師さん向けの本を完成させていた。デジカメの写真を取り込んで配置したりなんていうのは、わたしよりもずっと上手。インターネットを使うようになってからは、新しい釣り仲間を見つけたりして、ますます遠くまで出かけていくようになってしまった。母の方はといえば、クロスワードと大人の塗り絵にはまっている。「頭と手は使えるうちに使っとかんとねえ」ということらしい。パパ方の両親は今、自治会長さんとして奮闘中だ。昔なじみばかりの土地だし、元々が頼まれるとイヤと言えない性格だから、「そこまでやらんでも……」というくらいがんばっている。

 昨日、わたしの記事にコメントを付けてくださったカカズさんは、83歳の今年7月からブログを始められたそうだ。指1本でゆっくりと入力されているそうだけど、ブログにはご自身で書かれた童話を掲載されている。「何かを始めるのに、遅すぎるなんてことはないんだ」そう思わされた。

 「敬老の日」と言って、今回真っ先に思い出したのは、「10ぴきのかえるのおくりもの (PHPにこにこえほん) 」だった。おじいちゃんおばあちゃんに関する本は、他にもたくさんあるのだけどね。10ぴきのかえるたちは、かえる年100歳になるおおじいさまのために、長生きぐすりをプレゼントすることにした。ところが、ありさんやかたつむりさんに聞いても、それがどこにあるのかわからない。ちょうちょうさんが「お年寄りに聞いてみたら?」と言ったので、お年寄りを探しに出かけた。でも、90歳のえびばあちゃんに聞いても、99歳のうなぎのにゅるじいちゃんに聞いても、やっぱりわからなかった。がっかりした10ぴきだったけれど、150歳のどろがめおおじいさまに聞くと、今度は知っているという返事。10ぴきはおおじいさまへの贈り物を手に入れることができたのだった。

 お年寄りには、知恵と経験の蓄積がある。身体の動きは若い人に勝てないかもしれないけれど、それを補うものはいくらでも持っている。素敵なお年寄りは、「もうこんな年だから」なんて口では言いつつも、自分では年寄りだなんて思っていないんだろうな、きっと。明日の敬老の日、長生きぐすりはプレゼントできないけど、いつまでもパワフルにがんばってもらえるよう、エールを送りたい。

10ぴきのかえるのおくりもの Book 10ぴきのかえるのおくりもの

著者:仲川 道子,間所 ひさこ
販売元:PHP研究所
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小さくても一人前?

 最近の困り事。ともぴーが外出先で、男性用のトイレに入って行ってしまうこと。私が入るわけにはいかないから、目が届かず心配だ。ちょっと前までは、女性用トイレの中にある男の子用のところでしていた。それなのに、近所のショッピングセンターで、同じ幼稚園の女の子に会ってから、急に変わってしまった。小さくても男だねえ。ズボンを下げておしり丸出しのところは見られたくないってことらしい。でも、ともぴーに聞くと、男性用のトイレには子ども用の便器はないらしい。「なんでそこまで背伸びするかなあ。おしっこくらいラクにすればいいのに。それに、もし、トイレに変なおじさんが隠れてたらどうする? 怖いよ!」って言うんだけど、ぜんぜんおかまいなし。本当はね、後の方が心配なんだよ、ママは。わかってほしいなあ。

 そう言えば、おしっこつながりの話がもう1つ。ダカラのおまけに付いてきた小便小僧のマグネットを冷蔵庫にくっつけてあるのだけど、それを見てともぴーが「なんでおしっこしてるの?」としつこく聞いてきた。あんまりうるさいから、小便小僧の由来を教えてあげると「へーっ」と感心していた。そりゃあそうだよね。おしっこで戦争をやめさせちゃったんだから。小便小僧の由来には諸説あるけれど、ベルギーのブリュッセルにいた実在の男の子がモデルということだけはほぼ一致している。

 私が元々知っていたのは、城壁を爆破するためにしかけられた爆弾の導火線をおしっこで消したジュリアンぼうやの話だった。でも、別の言い伝えを絵本で読んだことがある。「おしっこぼうや―せんそうにおしっこをひっかけたぼうやのはなし 」だ。戦争のさなか、幸せに暮らしていたぼうやは、お父さんお母さんと離ればなれになってしまった。町中を探しながらさまよっていくうち、恐ろしさよりも寂しさよりもぼうやの中ではあることが大きくなってきた。「おしっこがしたい」。ぼうやは我慢しきれず塀の上からおしっこをした。すると、それは下で争っていた人々の頭の上に降り注いでいった。思いがけない出来事にすべての時間が止まる。その時間が再び動き始めるとき、人々は笑い合っていた。子どものおしっこがきっかけで戦争が終わったというこの話は、実際にブリュッセルで伝わる話の1つだ。緊迫した状況の中でピリピリしていた大人たちの頭を、おしっこで冷やしたぼうや。導火線の火を消すよりもスゴイかもしれない。

 まあ、ともぴーの場合、男性用、女性用どちらでしてくれても銅像にはならない。頼むから、ぎりぎりまで我慢しておきながら、思いっきり走っていくのだけはやめてくれないかなあ。「運動会に向けてトレーニングしてる」って言うなら大目に見るけど。

おしっこぼうや―せんそうにおしっこをひっかけたぼうやのはなし Book おしっこぼうや―せんそうにおしっこをひっかけたぼうやのはなし

著者:ウラジーミル ラドゥンスキー
販売元:セーラー出版
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読まず嫌いはダメだなあ

 今日、ともぴーと図書館に行った。児童書コーナーの入り口近くにおすすめ絵本の棚があって、ともぴーはいつも最初にそこを見る。今日はそこに、ちょっととっつきにくい派手な表紙の絵本が置かれていた。わたしの好みとしては「それだけはやめようね」という感じだったのに、ともぴーはよりにもよってその絵本を持ってきた。ともぴーは何を基準に絵本を選んでくるのかわからない。持ってくる絵本の中には、わたしが手を出すのをためらうようなものもある。でも、それを読んでみるといつもけっこうおもしろかったりするから不思議だ。今回も「これ、読みたい」と言われたから仕方なく読み始めたのだけど……予想以上におもしろかった。食わず嫌いはよくないと言うけれど、読まず嫌いもダメだなあ。

 今日ともぴーが持ってきたのは「ストライプ―たいへん!しまもようになっちゃった 」という絵本だ。カミラはいつも他の人の目ばかり気にしている。いつもみんなと同じようにしたいと思っていた。大好物のリマ豆も、他のみんなが嫌いと言うから決して食べない。新学期の第1日目。みんながいいと言ってくれる服を選ぼうとして42着もの服を次々と着替えていた。すると、気がついたときには、カミラの体は頭の先から足の先まで色とりどりのしま模様になっていた。驚いたカミラだったが、さらに恐ろしい事態が待っていた。目にしたものや誰かが言った言葉のとおりに体の模様や形が変わるようになってしまったのだ。ついにはセラピストに「ふかーく息をして、この部屋と一体になるのよ」と言われ、言葉の通り部屋の一部になってしまった。ベッドが口になり、タンスが鼻になり、壁に掛かった二つの絵が目になった。周りのみんながおろおろしていると、不思議なおばあさんがやって来て言った。「あらまあ、ひどいしまもよう病だこと」と。そして、カミラの大好きなリマ豆を取り出して「おじょうちゃん、あなた、これが好きなんでしょう?」と声をかけた。ところが、カミラはこの期に及んでも本当の気持ちを言うことができない。「だれがリマ豆なんて食べるもんですか!」と心にも無いことを言ってしまった。おばあさんは「思い違いだったようだね」と言いながら、リマ豆をかばんにしまい帰り支度を始めた。その姿を見たカミラは、やっと気がついた。「こんな変な体になったっていうのに、リマ豆を食べて笑われるくらいなんだっていうの?」と。カミラはとうとう「待って! 本当はわたし、リマ豆が大好きなの」と言うことができた。おばあさんは笑って、リマ豆をひとつかみカミラの口に放り込んだ。すると、見る見るうちにカミラは元の姿に戻っていった。その日から、他のみんなに何と言われようと、もう人の目なんか気にしなくなった。リマ豆も好きなだけ食べている。

 ずっと、母親であるわたしがともぴーの読む本に影響を与えていると思っていた。でも実際には、ともぴー自身が読む本を選ぶようになってから、わたしの読む本の幅も広がっているのだ。他の人の意見も含めて、もっと幅広く読んでいったほうがいいのかな。読まず嫌いは、なるべくやめて。

ストライプ―たいへん!しまもようになっちゃった Book ストライプ―たいへん!しまもようになっちゃった

著者:デヴィット シャノン
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がんばれ!ともぴー

 今日、とうとうともぴーの自転車の補助輪を外した。まだ5歳なのだから、補助輪付きでもよさそうなものなのだけど、これにはともぴーなりの事情があるのだ。

 うちの近所の男の子たちは、みんな幼稚園の年中の時に補助輪を外している。うちの近所だけが特別に早いのか、それともそのくらいで外すのが当たり前なのか、わたしにはわからない。わたし自身はその昔、小学校に入ってから補助輪を外したものだから、近所の子たちが「年中の時外した」と知った時にはとても驚いた。近くにも、1人だけ小学生で補助輪付きの自転車を乗っている子がいるのだけど、その子は女の子。ともぴーよりも大きい男の子たちは、全員外してしまっている。だから、補助輪付きに乗っていることを、ともぴーは小さい頃からずっとバカにされつづけてきた。それだけでも悔しいのに、夏休み前には、同じ年の男の子2人までもが、補助輪なしに乗り始めてしまった。同じ年の子は、あと女の子が1人いるだけ。1つ年下の男の子も、もしかしたら年少のうちに補助輪を外してしまうかもしれない。さすがのマイペースともぴーも、のんびりとはしてはいられなくなってしまったというわけだ。

 ともぴーは、3歳の誕生日に買ってもらった自転車を、ちゃんと足でこぐようになるまでに1年、きちんと手でブレーキをかけるようになるまでに更に1年かかっている(初めの1年は自転車にまたがって歩き、次の1年は足でブレーキをかけていたという意味)。つまり、あまり器用な子ではない。それなのに、他人から「できない」と言われると、必要以上に悔しがる。負けん気だけは人一倍強いのだ。しかし、負けん気はいつも空回りしてしまう。実際にやる段になると、「ぼく、できないもん」とすぐに言い、すねてしまうのだ。親のひいき目で見てもがんばりやとは言えないところが、負けず嫌いのわたしとしてはとても悔しい。今日だって、自転車を後ろで支えてやっているのに「おかあさんが手を離したからこけそうになった」なんて言うし、終いには「自転車がいじわるするから乗れないんだ!」なんて言い出した。あきらめが早すぎるというか、がんばりが今ひとつ足りないというか……本当に歯がゆいったらありゃしない。

 できないくせに、みんなの前では「できるよ」なんて大口をたたいてしまうところはともぴーにそっくりなんだけれど、もっとずっと努力家の子が出てくる絵本がある。「がんばりこぶたのブン (えほん、よんで!) 」という絵本だ。ともだちが逆立ちの練習をしていれば、できないくせに「ぼく、逆立ち得意」なんて言ってしまうし、口笛も吹けないのに「吹けるよ」と言ってしまう。こんなふうについつい見栄を張ってしまうブンだけど、うそつきこぶたにはなりたくないから、できるようになるまでとことん練習して、本当にできるようになってしまうのだ。そんなところは、ともぴーにもしっかり見習って、がんばってもらわなくてはと思う。でも、「できるよ」と言ったことすべてが、ブン1人だけの努力でできるようになるわけではない。最後の方には、ともだちの協力のおかげで何とかクリアという話も出てくる。

 ともぴーも、「ただの意地っ張り」ではなく、「がんばりや」と言われる子になってくれるといいのだけれどね。大見得を切るのなら、有言実行で頼むよ、ともぴー。

がんばりこぶたのブン Book がんばりこぶたのブン

著者:たかどの ほうこ
販売元:あかね書房
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