8月6日は……

 今朝、ともぴーに「今日は何の日か知ってる?」と聞いてみた。まだ幼稚園児だけど、歴史好きのともぴーは、原爆が落とされた数日後に戦争が終わったことも知っているはず。そう思ったんだけど……。ともぴーの答えは「8月6日だから、ハムの日でしょ。お店に書いてあった」だったよ。はぁ、そう来たか。そう言えば、昨日、お肉売り場には「ハムソーセージおいしそう~♪」という歌が流れていて、「8月6日はハムの日」なんて大きく書かれたポップが立っていたっけ。そして、それを見たともぴーが「ハム太郎たちが言っていたハムの日はこのハムじゃないよね?」なんて言ってたよ、確か。あ~ぁ、最近では8月6日を「ハムの日」なんて応える人、多いのかな? わたしは8月6日=広島に原爆が投下された日だと思ってたんだけど。

 かつては、民放の全国放送でも広島の平和記念式典の様子が報道されていたはずなのに、最近は扱いが小さくなったんじゃない? なんて思うのは、わたしだけ? さすがに戦後60年以上経つとこんなものなのかな? わたしは戦争を全く知らない年だけど、広島と長崎での大きな犠牲が泥沼化していた戦争を終わらせたと思っているし、あんな悲惨なことが再び起こらないように、このことはずっと伝えられていかなければならないと思っている。たまたまゴロがぴったりだから「ハムの日」なのは仕方がないけれど、原爆が投下されてたくさんの人が傷ついたり亡くなったりした日だということも忘れてはいけないと思うなあ。 

 今日は、上に書いたとおり広島の原爆記念日だから、それにまつわる絵本を紹介することにしよう。「おこりじぞう 」だ。日本が戦争をしていた1945年。広島のある横丁には、にこやかな笑い顔をした「笑い地蔵」が立っていた。ところが、8月6日の朝、真っ青に晴れた空に敵の飛行機が現れたかと思うと、次の瞬間、空から恐ろしい爆弾が街の真ん中目がけて降ってきた。まるで太陽が落ちたかのような衝撃。全ての物が吹っ飛び、体中に大やけどや大けがを負った人々が苦しみの声を上げていた。横丁のお地蔵様も吹き飛ばされ、笑った顔だけがかろうじて地面の上に見えるような有り様。皮膚がめくれて垂れ下がった人や黒こげで横たわる人が町中にあふれかえっている。そんな地獄のような中を逃げてきた女の子が、ひどいやけどのため力尽き、お地蔵様の前で倒れ込んだ。目の前にあるやさしいお地蔵様の笑顔を見て、母親を思い出した女の子は「おかあちゃーん、水が飲みたいよ……みず、みず」と消え入りそうな声でつぶやく。それを見た瞬間、お地蔵様の形相は一転した。仁王様のような恐ろしい顔に変わったお地蔵様は、怒りで大きく見開いた目から涙を流し、その涙を少女の口元に流し込んだ。広島の原爆にまつわる絵本はいろいろとあるけれど、ただ恐ろしいだけでなく、戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさもきちんと伝えられる絵本として、おすすめしたい一冊だ。

 先日の新潟中越沖地震で、柏崎刈羽原発が被災した。被災状況の発表がかなり遅れたために、「放射能漏れがあったのではないか」と観光客たちが心配した。ちゃんと安全だと言ってもらえなかったために、この夏休み、新潟の観光地の人達は風評被害でとても困っている。原発が爆発したわけでないのにこの状態。もし、原爆や水爆が落とされたら、どうなってしまうんだろう? チェルノブイリ原発は事故から20年以上経っているのに、周辺の放射能は未だに濃度が高く、今でも周辺住民の体に被害が出続けているらしい。こんな恐ろしい結果が出ているにも関わらず、まだ核兵器を作り持ち続けようとするなんて……「人間っておろかだなあ」とわたしはつくづく思う。

絵本 おこりじぞう

作:山口勇子 絵:四国五郎 金の星社

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赤ちゃんポストと300日

 昨年12月、熊本市の慈恵病院は、赤ちゃんポストの設置を市に申請していた。赤ちゃんポストというのは、何らかの理由で子どもを育てることのできない親が、匿名で新生児を預けていくシステムのことだ。望まれずに誕生した赤ちゃんの命を守ること、妊娠中絶から胎児の命を守ることを目的としている。ドイツでは2000年の設置以降、20人以上の子どもの命が救われているそうだけど、日本では初めての試み。キリスト教の国、ドイツでも法的裏付けのされていないこのシステム。日本では当然のことながら賛否両論が持ち上がっていた。そして、その赤ちゃんポストの設置が、昨日(4月5日)許可された。

 慈恵病院の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」の場合、病院の人目に付きにくいところに扉を付け、その中に保育器を設置するという。新生児が容器の中に入るとセンサーが反応して、24時間待機している医療従事者に知らされるという仕組みになるそうだ。確かに、このシステムで救われる命はあるだろう。でも、受け入れ対象は生後2週間までの新生児だという。それ以上の子が入れられていた場合はどうするつもりなんだろう? それに、一度扉を閉めたら外からは開けられないこの容器。そこに子どもを預けに来る人は、果たして、産んでから悩みに悩んだ末預けに来る人なんだろうか? おなかを痛めて産んだ我が子を、生後2週間以内に「育てられない」と結論づけられるような人は、おそらく産む前から既に「育てられない」と思っていたはず。だとすると、「中絶にも出産にもお金がかかるから、自宅で産み落として置きに行こう」なんて考えた人の方がより多く救われることにもなりかねない(たぶん、「それでも命を救えるなら……」という考えの下に設置されるのだろうけど)。更に、幼児虐待の末亡くなっていく命は、もう少し大きくなるまで生かされているわけだから、この方法では救えないはず。わたし個人としては、育てられないのがわかっていながら、無責任に親になって命を誕生させること自体がよくないことだと思っている。だから、赤ちゃんポストの匿名性に抵抗を感じてしまう。

 また同時期に、民法における女性の再婚禁止規定(離婚後300日問題)が見直されるか否かという話が持ち上がっていた。「離婚後300日以内に産まれた子供は前夫の子と推定される」という民法の規定によって、間違いなく現在の夫の子である場合でも裁判を経なくては現在の夫の戸籍に入れることができない。でも、この法律は明治時代に作られたもので、DNA鑑定はもちろん、今のように早産で生まれた子供が無事育つことなども想定されていない。実際の妊娠期間だって300日未満なのだから、数日の差で泣いている女性もいるだろう。例えば、40週で産んでいれば300日規定に引っかからないで済んだのに、早産で産んでしまったからアウトという場合もあるはず。それなのに、長勢法務大臣は「性道徳や貞操義務」を理由に法改正を反対している。離婚後に妊娠したケースに限定して、医師の証明書を添付すればOKという例外の通達を出したけれど、DNA鑑定はやはり認めない方針のようだ。これから育っていく子どものことを考えたら、わたしは認めてあげて欲しいと思うのだけどね。

 以前、このブログの中で「いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」 」という絵本を紹介したことがある。たくさんのご先祖様から命を受け継いで、今の自分がいるのだということをおばあから教えられる男の子の話だった。実は今年に入ってから、その絵本の第2弾が発売になっている。だから、今日はその絵本を紹介しようと思う。「いのちのまつり つながってる! 」という絵本だ。小学生のミズちゃんが急いで家に帰ると、飼い犬が子犬をを生んでいた。おなかにはへその緒が付いている。そのことをきっかけに、へその緒がつないできた命の話を聞くことになる。前作のヌチヌグスージ同様、今回も大きな見開きページを使って、連綿と続いてきた命のつながりが表現されている。「せっかく自分の命を受け継いで生まれてきた命なのだから、箱の中に置き去りにする前に考えてみたら?」「誰の命を受け継いでいるのかが明らかならば、その親の戸籍に入れるのが当たり前なんじゃないかな?」などと語りかけてきそうな絵本だ。 

 望まれずに生まれてきた子供の命を救うシステムと望まれて生まれてきたのに戸籍に入ることのできないシステム。どちらにも賛否両論、様々な意見がある。何を基準に考えるかが人によって違うからだろう。でもわたしには、どちらも「お母さんのおなかに入った時点からひとつの命だ」ということ、「お父さんとお母さん両方の命を受け継いで誕生する命なのだ」ということを外して議論されているような気がしてならなかった。

いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」 Book いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」

著者:草場 一寿,平安座 資尚
販売元:サンマーク出版
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いのちのまつり つながってる! Book いのちのまつり つながってる!

著者:草場 一壽
販売元:サンマーク出版
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今年は「命」

 昨日、『今年の漢字』が発表された。『今年の漢字』というのは、財団法人日本漢字能力検定協会が公募で選んだその年の世相を表す一文字の漢字。毎年12月12日(漢字の日)に清水寺で発表される。1995年、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件による社会的不安をイメージした「震」という漢字から始まり、今回で12回目。今年を表す一文字として選ばれたのは「命」という漢字だった。わたしはこの字をパッと見た瞬間「あれ? 今年ってこんないいイメージだったっけ?」と思った。ところが、実際は悠仁親王のように誕生した命よりも、どちらかというと、いじめによる自殺、虐待による死亡、酒気帯び運転による交通事故死など失われた命をイメージして選ばれたものだった。そう思って見直すと、縦1.5メートルもある和紙にまっ黒な墨で書かれた大きな「命」には重みが感じられた。

 というわけで、今日は今年の漢字「命」にちなんだ絵本を紹介しようと思う。「わすれられないおくりもの」という絵本だ。森の仲間たちの中で、誰よりも賢くて、みんなから頼りにされていたアナグマ。でも、年老いたアナグマは、冬を迎える頃、「長いトンネルの向こうに行くよ。さようなら」という手紙を残して死んでいった。大切なよりどころを失い、悲しく長い冬を過ごした仲間たち。春になってもなお悲しみに沈んでいた。みんなで集まり、アナグマとの思い出を語り合う。すると、それぞれがアナグマとの最高の思い出を語っていくうちに、彼が自分たちに残してくれた大切な宝物に気づくのだった。この本を読むといつも、わたしは周りの人たちの心に何を残すことができるんだろう……と考えさせられる。小さな子どもには少し難しい絵本だけど、大切な何かを感じ取ってもらえるのではないかと思う。死をテーマとしているのに、読んだ後、穏やかな気持ちになれる絵本だ。

 去年は「愛」、今年は「命」。かつての「倒」「毒」「戦」「災」に比べればかなりイメージのよい漢字が選ばれるようになってきた。来年は本当の意味でよいイメージの漢字が選ばれるような1年になってほしいものだ。

わすれられないおくりもの Book わすれられないおくりもの

著者:スーザン・バーレイ
販売元:評論社
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衝撃の映像

 以前から記事にしたいと思っていたことがあった。あるHPの映像を見て、血の気が引くほど衝撃を受けたからだ。ただ、それをどの絵本と結びつけて記事にしたものかと今までずっと悩んでいた。ところが昨日、羽島のコーヒー屋さん「きゃらさん」が自身のブログ(お友だちのところにリンクを貼っている)でそのことを話題にしていた。いつもはコーヒーやかわいいわんちゃんたちのことなど、楽しい話題ばかりを提供してくれる彼女なのに、「転載してでも多くの人に知ってもらいたい」と言っている。そこで、わたしも今日はそのことを記事にすることにした。

 寒い季節、人によっては毛皮のコートなどを身につけたりするかもしれない。もし、その毛皮のコートがヨーロッパの国々で加工された物だとしても、元の毛皮は中国で作られていることが多いということをご存じだろうか? そして、その毛皮の製造工程で、動物たちがどのような目に合わされているかご存じだろうか? 狩猟によって殺されたり、養殖された後安楽死させられたりしてから皮を剥がされていると思っている人が多いのではないだろうか。もちろん、美しい毛皮を持っているがために鉄砲を持った人に追いかけられたり罠にかけられたりして殺され、絶滅の危機に瀕している動物は世界各地にいる。カナダやノルウェーのアザラシも産毛が生えたばかりの赤ちゃんアザラシが狙われるために数がどんどん減っているという話を聞いたことがある。でも、中国の養殖場ではもっと恐ろしいことが行われていることを知ってしまった。実は、毛皮を採るためだけに育てられた動物たちは棒で殴られ、足で踏みつけられ、地面にたたきつけられ、さんざん痛めつけられた末、生きたままの状態で手足を切り取られているのだ。それでもなお生きて苦しまなければならない彼ら。「助けてくれ」と言わんばかりにまばたきし、かすかに口を動かし続ける。全身の皮を剥ぎ取られても10分近くは生きて苦しみ続けているのだ。普通の精神を持つ人なら目を背けるような状況なのに、日々そのようなことを職業として繰り返している人々の心は完全にマヒしてしまっているのか、笑いながら手を下していた。……と書いてみたものの、果たしてこのような文章でこの残酷な状況がきちんと伝わっているだろうか? わたしが中国毛皮養殖場の内側というホームページ上で初めてこの映像を見た時には、それこそ全身の血の気が引いた。映像は15分のフルバージョンとそれを2分に短縮した短縮版の2種類がある。フルバージョンは本当に直視し難い。だから、皆さんにはせめて短縮版だけでも一度見てもらえたらと思う(心臓の弱い人はやめた方がいいと思うけど)。そして、ぜひ考えてもらいたい。人間は、これほどまでに他の動物たちのいのちを自由にできる存在なのかと。

 確かに、地球上には昔から毛皮をいろいろな物に利用して生活してきた民族がいる。でも、それはおしゃれのためではなかった。自然の恵みとして、その肉を食べ、骨を道具に加工し、毛皮を衣服や家の素材として利用していた。だから、乱獲もしていなかったと思うし、共存が成り立っていたんだろう。おそらく、そのような状況の下では、人間も生態系の一角に位置していたに違いない。でも、今の人間は生態系の外に位置しているんじゃないだろうか。そして、他の動物たちで形成されている生態系を破壊する存在になっているのかもしれない。

 ともぴーが以前幼稚園から借りてきた絵本で、人間のエゴ、残酷さを感じさせられたものがあった。「島ひきおに 」という絵本だ。見た目は恐ろし気だが、日頃から人間と仲良くしたいと思っていた心優しい鬼の住む島に、船が流れ着いた。乗っていたのは2人の人間。鬼は喜んで「一緒に暮らしてくれないか」と言った。でも、人間たちは鬼というだけで拒絶する。ただ、それをはっきり言っては食べられてしまうと思った人間たちは、「自分たちの村まで島を引っぱって来たら暮らせるのだが……」と苦し紛れに言うのだった。いくら鬼でもそんなことはできまいと思っていた人間たちだったが、鬼は本当に重い島を引きずりながらやって来てしまう。驚いた村人たちは、今度は苦し紛れに、隣の村へ行くように勧める。また重い島を引っぱって移動する鬼。ところが行く先々で人間のエゴ、嫌らしいウソに翻弄されてしまう。やがて島も鬼も波に削られ小さくなっていくのだか、それでも人間と仲良く暮らせる場所を探してさまよい続ける鬼の姿があまりにも切ない。鬼よりも人間の方が本当に鬼の心を持っているのかもしれないと思わされた作品だ。

 わたしは毛皮を身につけたことがないからよくわからないのだけど、毛皮を身につける人たちが本物にこだわる理由はなんなんだろう? 今の時代、フェイクでもかなりいい物があると思うんだけど、それではだめなんだろうか。悲惨な死に方をした動物たちの毛皮。相当な怨念が残っているような気がするのだけど、何も感じないのかな。 

島ひきおに Book 島ひきおに

著者:梶山 俊夫,山下 明生
販売元:偕成社
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いじめられる側の何が悪いの?

 このところ、いじめによる自殺が相次いでいる。いじめた側は、「悪ふざけのつもりだった」とか「ちょっとからかっただけ」などと言うことが多い。でも、相手が死ぬほど苦しんでいるとは思わないまでも、心の中では「いじめだ」と自覚していることが多いんじゃないだろうか。学校や周りで見て見ぬふりをしていた大人たちは、「気がつかなかった」とか「そこまで思い詰めていたとは思わなかった」なんて言うことが多い。でも、それはいじめの現場を目にしても「いじめだ」と感じる正常な感覚が無くなってしまっていたり、「これはいじめではないんだ」と心にブランドをかけるようになってしまっていたりするからじゃないんだろうか。自殺に至ってしまった子たちだって、初めてのいじめですぐに死を選んだわけじゃないだろうし、周りに何のサインも出さないまま死ぬことなんてないと思うから。

 わたしは子どものころ、転校ばかりしていたから、言葉の違いや遊び方の違いでいろいろとからかわれたりした。でも、わたしの場合はいつも味方になってくれる友だちがいた。引っ越し続きで幼なじみはいないけれど、いつも数人でお互いを守り合っていた。それに、わたしは性格的に重く受け止める方ではなかったから、何事もなく学生生活を送っていた。ところが、そんなわたしでも社会人になった途端、とんでもないいじめに出会ってしまった。おかげで、大学を出て最初に就職した会社はドクターストップで辞めることになった。営業職で、常にノルマに追われていたその職場。チームごとにもノルマがあり、それを達成できたかどうかで報奨金が出たり出なかったりする。営業所長と副長以外は女ばかり。最初のいじめは、チーム内でわたしだけがノルマを達成できなかったことがきっかけだった。ミーティングと称して別室に閉じこめられ、罵声をあびせられながら袋だたきに合った。その後も、他のチームの人たちと食事に行ったとか、おみやげをもらったときの喜び方がなっていないとか(これはただ単に東海と関西の言葉の違いが原因だったんだけど)、本当に些細なことをネタに、別室に呼び出され続けた。そして同じように袋だたき。でも、わたしは意地っ張りだったから、いくらいじめられても他のチームの仲のいい人たちと食事に行くのはやめなかったし、自分から会社を辞めるなんて言うつもりはなかった。でも……仲のよかった同期が同じようないじめで次々と辞めていき、残りが自分1人になってしまうと、身体がまったく動かなくなってしまった。体じゅうの筋肉が緊張したまま戻らない。体じゅうが重度の肩こりになった感じだ。両手の握力が10㎏を切り、通常なら5分くらいしかかからない電車の乗り換えも1時間くらいかけなければできなくなってしまった。会社を休みリハビリを続けていたけれど、なかなか原因がつかめず、やっと精神的なものが原因という診断が出たころには2ヶ月も経っていた。自律神経失調症という病名が付いたのだけど、ドクターストップで会社を辞めたら、約1ヶ月で元に戻ったのだから笑えてしまう。今だから笑い話にできるけど、あのときはいくらがんばろうと思っても身体が動かなかった。生きているから今こんな話が書けているけど、わたしだって、周りに弱音を吐きまくり甘えられる状態でなかったとしたら、どうなっていたかわからない。わたしをあそこまで追いつめた人たちは、きっとわたしが会社を辞めても何とも思わなかったんだろうな。そして、母親になった彼女たちは、人の痛みがわからない子どもを育て、世の中に送り出しているのかもしれない。

 「わたしのいもうと」というとっても重い絵本がある。いじめが原因で自殺してしまった妹のことを姉の視点で描いた実話だ。ある町に引っ越し、転校生となった妹。言葉がおかしいとか、跳び箱ができないとか、そんなことがきっかけでひどいいじめに合ってしまう。小学生で登校拒否になり、やがて引きこもりとなっていく。そんな妹がいる部屋の外を、いじめた子たちは中学生、高校生となって通りすぎていく。自分たちのいじめが妹にどのような影響を与えているか、まったく気にする様子もなく。そんなある日、妹は孤独な死を選んだ。わたしと同じように、転校生として言葉のことでつらい思いをした女の子が選んだ死。他人事とは思えなかった。わたしは同じような言葉の問題を、前向きに「こいなりさんの初仕事」(「おへそよりもおいしいもの」の2番目に入っている)という話にしたけれど、どちらに転ぶかは本当に紙一重。ずっと同じ土地で生まれ育った人にはわかりにくいかもしれないけどね。

 よく「いじめられる側にも問題がある」なんて言う人がいるけれど、本当にそうかなあ? いじめのきっかけは自分よりも弱いとか、自分とは違うとかそんなことでしょ。それがいけないことなわけ? いじめる側が肯定される理由なんてないとわたしは思っている。

わたしのいもうと Book わたしのいもうと

著者:味戸 ケイコ,松谷 みよ子
販売元:偕成社
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いのちの重さ

 このところ毎日のように、飲酒運転による事故がニュースに取り上げられている。おそらく、事故がここ数日特に多かったというのではなく、これだけ注目されているにも関わらず減らなかったということなのだろう。福岡でのあの悲惨な事故がまったく教訓になっていないということなのだろうか。

 「お酒を飲んだら車を運転してはいけない」なんてこと、ここ最近言い出したことではない。今よりももっと車が少なかったころから「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」という標語があったくらいだ。数年前の事故がきっかけで、厳罰化された飲酒運転による死亡事故。それなのに、法の不備を逆手に取って、飲酒運転で事故を起こしておきながら更にひき逃げ、お酒が抜けてから出頭なんて人が後を絶たない。なぜなんだろう。

 お酒を飲んだ上で車を運転する人はもちろん悪い。だけど、車で来ていることがわかっているのに、お酒を飲ませても平気でいるお店、運転をするのがわかっていて何も言わない周りの人や家族もやっぱり悪いよね。たかがお酒1杯で、自分たちの人生も、他の人の人生も変えてしまう。そこのところを、もっとみんなで考えてほしいなあ。

 「人の命は地球より重い」って言葉がある。いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」 は、そのことを感じ取らせてくれる絵本だ。沖縄には、他の土地に住んでいる人には信じられないくらい大きなお墓がある。そして、お墓参りのとき、その前で宴会をし、みんなで踊ったりするのだ。コウちゃんがその様子を初めて目にしたとき、おばあがいのちのことをいろいろと教えてくれた。コウちゃんのご先祖様が星の数ほどたくさんいることを、そして、その人たちのいのち1つ1つがずっとずっとつながって、コウちゃんが生まれてきたのだということを。コウちゃんのご先祖様が4ページ分の見開きいっぱいに描かれているのを見ると、本当にいのちはつながってきたんだな……と納得させられる。

 子どもの中には、「どうして人を殺してはいけないの?」などという質問をする子がいる。そんな子には、「これだけずっとつながってきた他の人の命を、そこでおしまいにしてしまう権利など、だれにもないからだよ」と教えてあげてほしい。「死にたい」なんてことを口にする子には、「これだけつながってきたいのちは、自分のものであっても、自分だけのものではないんだよ」と教えてあげてほしい。もちろん、お酒を飲んで車を運転しようとしているだれかにも。

いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」 Book いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」

著者:平安座 資尚,草場 一寿
販売元:サンマーク出版
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